ツイッターで少し書いていた保護猫の話です。
少し長いですがすいません。
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これまで細々と近所の野良猫を保護して去勢して、大人猫は野に放ち、子猫は里親を探すということを細々とやっていました。
お隣の方もとても猫が好きな方で、大変お世話になっています。
色んな意味で、一人では続けられません。
ちょうどスタジオを建てて10年になりますが、
近隣ではずっと昔から住んでいる猫好きな人が餌をやっていて
一方では猫が嫌いで、糞害に悩む人もいました。
ある日まだ引越したての頃
立ち話の中ですが、猫嫌いの人が保健所を呼ぶとか毒餌を撒くみたいなことも言っていたので
これはまずいと思って、
「時間はかかるかもしれないけど全ての猫を去勢して地域猫にするから、手を出さないでほしい」
ということを話して、それから毎年、生まれる子猫との追いかけっこで
今年の春にようやく全てを地域猫にできたタイミングでした。
元々2匹飼っていた家猫は、4匹になりました。
地域猫は、里親さんのところに行った子猫も合わせて、多分10匹くらいだと思います。
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捕獲の時期は子猫が生まれる春先が多く
初秋にふらっと姿を見せたその猫がとても珍しかったです。
腰のあたりに大怪我をしていて、歩くのも苦しそうで
とりあえず餌を食べさせて
次の日慌てて罠を借りにいって
セブンの唐揚げ棒をセットしたところ
翌々日にはもう病院に連れて行くことができました。
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いつも思うのは
野良猫はとても強くて、気高い。
病院に連れて行く車の中でも一言も泣かず
捕獲してからリリースするまで一回も声を聞いたことがない子もこれまでたくさんいました
(これが家猫だった場合、ケージに入れた瞬間から泣き出してもう大騒ぎです)。
彼らはじっとうずくまって、弱ったふりさえして
逃げ出す瞬間に向けてじっと力を蓄えています。
別の猫ですが、今年の春に自分の油断からスタジオ内で脱走して、大暴れしたあの野生を一生忘れません。
絶対に体を触らせないし、膝の上で脱力してくつろぐ家猫と比べると、これが同じ生き物なのかと思います。
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怪我に見えたものは腫瘍が破裂したもので
(自壊というらしいです)
痛々しく、ケージの中で暴れたのか新たに血が流れ出ているみたいでした。
また、正確な年齢はわからないが老猫のオスで、血液検査もあまり良くはなく
ただ食欲は旺盛なので、ギリギリ手術はできるだろうとのことです。
手術が成功しても転移もあるし、老猫なので長生きするかは正直わからないともお話いただきました。
自分としては単純に、傷を癒して痛みが取れて、家で体力をつけて
間に合えば今年中か、無理なら室内で冬を越して暖かくなったらまた外に放てばいいかなとその時は能天気に思っていました。
生まれた時期なども全く分からないのですが、カルテに名前は必要なので
綺麗なハチワレだったのでハチと書きました。
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手術まで2日あり、その間も柔らかとチュールをガツガツ食べてました。
あと、外に出たくて暴れたのか頭の皿に怪我があって、檻に頭を繰り返しぶつけたみたいでした。
それもかわいそうでしたが他の猫と会わせられないため仕方がなく、普段は猫禁制のスタジオにケージを入れて
とりあえずは音出しを控えて、練習もできず、他の作業もヘッドフォンでしました。
手術当日餌は食べさせないと言うことだったので
最後の晩餐に、一番好きそうだった柔らかと鯛のスープをあげました。
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手術の日になり、朝スタジオに行くと
ハチは餌入れに顔を埋めて少しぐったりしていました。
手術が朝イチの0900なので、それまで水を飲ませたりして様子を見てすぐに運びました。
病院に着くとすぐにたくさんの管に繋がれて、酸素ルームに入れられて
この状態では手術はできないため、とりあえず回復を待つと言うことになりました。
その日午後は仕事だったため、また夜に来る旨を伝え
昼過ぎでしたか、ふと休憩の時間に留守電が入っているのを見て
そこで、ハチワレが死んでしまったことを知りました。
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悲しいとき、むしろ忙しいのはありがたくて
仕事の間は悲しむ余裕もなくレコーディングを終えて
その後すぐ、まだやっているスーパーでダンボールと花とたくさんの氷を買って病院に行きました。
引き取り書にサインをするとき、ハチという名前と、飼い主に自分の名前があって
本当に短い間だったけどうちで飼った猫だったんだなと思いました。
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遺体は、病院で綺麗に拭いてくださっていて腫瘍も見えないようにガーゼを当ててくれてあり、
真っ白い綺麗な箱に入っていました。
自分は大きめのダンボールに氷を詰めて、その中にビニールを敷いて箱を置きました。
買ってきた花は、ちょうどこの時期菊しかなくて
猫には毒だけど申し訳ないなと思いながら
敷き詰めて一晩スタジオに安置しました。
数日ぶりにスタジオで音を出せて、楽器を弾いた時に
本当に悲しくて、ここまで悲しくなるのかと自分でも驚きました。
短い間スタジオで一緒にいただけで、声を聞いたのも最初道路で見つけて餌をやって、危ないから皿を持って敷地に誘導していた時に一回鳴いただけでした。
家猫だったら、長い長い時間一緒に暮らして、その中でできることは全部してきたので悔いなく泣かずに心安らかに送り出せたと思います。
後里親さんを見つけた子猫はまだ生きているし
地域猫も、まだたまに姿を見たり、あるいは死んだとしてもはっきりとはわからず、そういうぼんやりしたお別れが多かったです。
なので今回も自分のところに来たのはこれまで通り元気になって旅立っていくただの通過点で、まさかここで急に終わりになるとは自分自身が思ってなくて、あまりにも不意で急すぎました。
これまで保護した猫はたまたまみんな元気で来てくて、運が良かっただけなんだと。
あとは自分は子どもの頃引っ越しが多くて動物が飼えず、
その土地で仲良くなった野良猫や友達の家の猫も、死ぬまでは付き合えず
いつもその前に自分の方が何処かに行ってしまう…という繰り返しで
思い返せば、ちゃんと死を看取った猫は初めてでした。
しかも自分が何もできないまま、ハチワレの方が一人で行ってしまいました。
引き取りの時に獣医さん曰く、病気の老猫が死に場所を探して流れてきたんじゃないか、手術の関係なしに長くはなかったと、
多分自分を気遣ってくださった上での言葉だと思いますが
だとしたら、なおさら余計なことをして
頭に怪我をするくらい自由になりたかったのに
気高い猫の、最後の貴重な時間を奪ってしまったかもしれません。
手術前に体調が急変したのも、人間の世話にはならないという気持ちや
痛いのはイヤだから、いくね…と思ったのか
あと朝すぐに病院に行って無理にでも見てもらったらとか
コロナでお金がなく手術費のことで弱気になったのを見透かされたのかとか
なんども考えてしまうけど何が良かったかわかりません。
最後に撫でさせてくれて、体は固かったけど、毛足は思いの外柔らかくてそれは家猫と一緒なんだと思い、
あと目は閉じることができなくて透明なビー玉のように透き通っていて、ずっと見ていました。
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深く掘れない狭い庭に埋めるのも色々と問題がありそうで
次の日、お隣さんが教えてくださったペット霊園に連絡をして、火葬にするためにハチを連れて行きました。
そこは23区とは思われない静かな場所で、大きなお寺に付属したペット霊園ということでした。施設の方はもちろん事情は知らないので、長年連れ添った老猫と、その家族に対する態度としてこれ以上ないくらい丁寧で配慮の行き届いた応対で、逆に自分は面食らってしまいました。
すっかりうちの猫扱いでごめんと思いながらも無事に手続きを済ませて、遺体をお渡ししました。
立派なお寺で、本堂にもご挨拶をして帰ろうと思って、広い境内を散歩をしながら人間のお墓エリアに向かいます。そしてお堂を見上げると「星光山」とあって、自分は次の日にプラネタリウムで演奏だったので、少し驚きました。
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演奏の日、このことには触れないでおこうと思いましたが
一人で行ってしまったハチワレが悲しくて
つい「初めての祈りを」という曲を、星明かりの中でハチワレのために弾かせていただきました。
ライブはその時聞いてくださっている人のために弾くという自分のルールを逸脱してしまい、これは本当にやってよかったのか今でも迷っています。
ただその後、出口でのご挨拶の際
飼ってらっしゃったペットの話をしてくださったり
また、偶然星光山で歴代のペットを供養されている方がいたり
むしろ自分自身気持ちがとても助けられました。ありがとうございます。
今回は真っ暗な演奏会で、そして終演後もマスク着用で、腫れぼったい顔を見られず良かったです。
喪服というわけではありませんが、今回衣装は青を入れず全部黒くしました。
あと、あまりにも自分の様子がやばそうだったのか
演奏の後ネイチさんの荷物をお送りした際に、玄関先で家猫を抱っこさせてくれてそれも助かりました。
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演奏の次の日お寺に行き供養をして、遺灰と遺骨を少しもらい、木の根元に埋めました。
ハチワレは、また去って行った全てのペットや野良猫たちは
星の光のように、健やかに、遠くでキラキラ過ごして欲しいと思います。
本人には何が幸せだったかわかりませんが、最後に会ってくれてありがとう。